アドラー心理学について(第2弾)-カウンセリング/神奈川県川崎市/ピース・アンド・ホープ カウンセリングセンター




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              第14回   アドラー心理学について(第2弾)

 
  



 アドラー心理学という心理学には「課題の分離」という考え方があります。「課題の分離」とは「これは誰の課題なのか?という視点から自分の課題と他者の課題との分離をしていく考え方のこと」です。誰の課題かどうかの判断は「最終的に困るのは誰か?」ということを想像することで求めることができます。例えば、「子どもが宿題をしない」という問題を考えてみましょう。確かに親からすれば、子どもが宿題をしてくれないのはとても心配だし責任を感じます。しかし、宿題をしない事で誰が困るか考えてみましょう。おそらくそれは子ども自身です。故に、宿題をするしないを決めるのは子どもの課題なのです。親としては「宿題したの!?」と言いたくなりますが、それでは子供の課題に土足で踏み込むことになります。人は自分の課題に踏み込まれると不安になり、反感をを覚えます。「今やろうと思っていたところ!言われたせいでやる気失せた」と言われてしまったこと、ありませんか?子どもには子どもの人生があり、課題があります。他人の期待(例「宿題してほしい」という親の期待)のために生きているのではありません。

 ではこういう時どうするか。自分の課題にのみ徹するのです。先ほどの例でいえば、親としての課題に徹するべく「君が宿題しなくて先生に怒られたりしたらお父さん(お母さん)も嫌だな。もし宿題でわからないところがあったらいつでも相談に乗るからね」といったような言葉をかける、あるいは少なくともそういう姿勢を取っていればいいのです。子どもの勉強のサポートをする、これは親の課題なのですから。
 これだけの説明を読んだだけでは「『課題の分離』っていうのは『わたしはわたし、あなたはあなた』と境界線を引いていく極めて自己中心的な、誤った個人主義だな」と思われる方もいるかもしれません。しかし、注意してください。この「課題の分離」という考え方はあくまでもアドラー心理学の考え方の一つである、ということに。アドラー心理学では「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」(この三つを合わせて「共同体感覚」といいます)に基づく考えがあって初めて「課題の分離」ができると考えます。「共同体感覚」は、他者は仲間でありその人たちのために自分ができることをしているのであれば、その人たちと課題の上で分離したとしても自分の味方でいてくれるという感覚と言い替えることができます。課題の分離はこの感覚があって初めてできるのです。詳しくは「嫌われる勇気」(※)を読んでみてください。きっといくつかの発見があると思いますよ。


(※)岸見一郎・古賀史健 (2013)『嫌われる勇気 -自己啓発の源流「アドラー」の教え』 ダイヤモンド社


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